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[The Thunderbolts Project,Japan Division] エレクトリックユニバース  電気的宇宙論、プラズマ宇宙物理学、 電気的観察物理学、解説、翻訳、 深津 孝明

ザ・サンダーボルツ勝手連 [Plasma Politics プラズマ政治「(宇宙を含めたあらゆる自然界の)プラズマを認識した政治」]

[Plasma Politics プラズマ政治「(宇宙を含めたあらゆる自然界の)プラズマを認識した政治」]
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絵画クレジット:ジョン・トランブル
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Oct 27, 2008
宇宙時代の新しいデータの洪水はまた、天文学者達に驚きを氾濫させました。

新しい機器は、重力とガスに関する従来の理論では予期していなかった画像と測定値を取得しました。

理論に例外、追加、または改訂が行われるまで、データは「意味をなす」事は無いものでした。

しかし、プラズマの振る舞いへの洞察は、そのデータを「意味をなす」ものにしました―
修正する事無しに。

新しい研究分野が生まれました:
プラズマ宇宙論は、世界最大の専門組織である電気電子技術者協会(IEEE)の一部です。
https://www.plasma-universe.com/eric-lerner/


同様に、古代美術、工芸品、物語(神話や伝説)のデータは、如何なる包括的な方法でも「意味をなす」ものではありません。

一般的な自然の出来事、社会構造、またはシャーマニズムの幻覚のよく知られた考えは、個々の神話やデザインを説明する上でわずかな知的満足を提供しました。

しかし、さまざまな独立した社会における世界中のテーマの明らかな類似性は、説明を求めてきました。

繰り返しになりますが、「意味をなす」事がない、このデータは、プラズマの振る舞いへの洞察が、データを「意味をなす」ものにしています。

「意味をなす」とは、仮説を「証明」することではありません。

さらなるデータと対立仮説に対しての―
テストのハードで継続的な作業は―
まだ必要です。

ある研究者、レンズ ファン・デル スルージスは、このプラズマ原理の古代の歴史的データへの適用を「プラズマ神話(プラズマを理解する事による神話)」と呼ぶことを提案しました。
https://mythopedia.info/intro.html

「プラズマ宇宙論」で起こったように、「プラズマ神話」は彼らの頭の中で受け入れられた説明を転換します:
「多くの神話は人間社会の側面を反映しているというデュルケームデュメジルの主張は、それらの側面に触発されたのではなく、それらのモデルとして機能したものへの、目標に向かっています。

ユングの原型とリーバイ・ストラウスのバイナリ構造は、示唆されているように存在し、心の中で機能しますが、それらは、神話の〈起源〉ではなく、〈痕跡〉でした。」

プラズマに対するこの新しい認識の意味は、革命の「約束」(冒険への欲求に応じては、または「脅威」)を伴うほとんどすべての伝統的な研究分野に触れます(影響を与えます)。

たとえば、プラズマ政治の新しい分野を想像してみてください。

ルソーやロックなどの伝統的な理論家達は、社会的および政府的側面が切り取られる現状として想定されている「自然状態」における市民社会の起源を模索してきました。

(このアイデアのより現代的な概要については、ロバートノージックアナーキー、国家、ユートピアのパートIを参照してください。)
https://www.policylibrary.com/

個人は「貿易と防御」のために団結します。

これを行うための個人のさまざまな試みのさまざまな効率と便宜に応じて、特定の秩序パターンが支配的になるでしょう。

ロックとルソーは、(市民社会の)その命令を、社会の構成員間の「〈コンパクト〉または〈契約〉」に帰し、多くの個人に〈署名のある元の文書〉を見るように要請する事を促しました。
https://iep.utm.edu/soc-cont/

しかし、アダム・スミスの後―
経済学のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスや生物学のスチュアート・カウフマンなど、より現代的な理論家は―
複雑なシステムにおける創発的秩序の概念(スミスはそれを「見えざる手」と呼んだ)は、秩序を神秘的な「意図的な設計」に帰するよりも有用な理解を提供しました。

〈プラズマ政治〉は、トマス・ペインの主張を拡大する事で、「世界を最初からやり直す私たちの力」にそれを置きます。

プラズマの性質の元の状態は、推定された、「現在の-太陽の-状態の-社会」とはかなり異なっていました:
それは〈神のような強さの世界的な雷雨嵐に巻き込まれた自然〉でした。

この元々の大変動状態から生じた社会的および政治的秩序は、見えざる手によってではなく、地球と人類を無計画に撃った拳の「強迫的妄想的な記念」として現れました。

他の人間との貿易と他の人間からの保護は二次的なものでした。

神々と彼らの受けた雷雨嵐が去った後、人々は、もはや「正当化されなくなった記念碑と儀式の文脈」の中で、取引し、身を守るために残されました。

この「市民社会の制度」は、合理的な性質に対する完全に合理的な反応としてではなく、不合理で不条理な性質に対する「罪悪感と恐怖に駆り立てられた」準合理的な反応として現れるでしょう。

プラズマ神話の陰の中で、「プラズマ政治の仕事」は、市民社会が不可侵の権利を持つ一般的に平和な個人からどのように生じたかを説明することではなく、それが「世界的なトラウマと気まぐれな暴力」からどのように進化したかを説明することです。

By Mel Acheson
メル・アチソン著

Oct 27, 2008
The flood of new data during the space age has also inundated astronomers with surprises.
宇宙時代の新しいデータの洪水はまた、天文学者達に驚きを氾濫させました。

New instruments have acquired images and measurements that traditional theories about gravity and gas didn’t expect.
新しい機器は、重力とガスに関する従来の理論では予期していなかった画像と測定値を取得しました。

The data hasn’t “made sense” until exceptions or additions or revisions have been made to the theories.
理論に例外、追加、または改訂が行われるまで、データは「意味をなす」事は無いものでした。

But insights into the behavior of plasma have made sense of the data—
without modifications.
しかし、プラズマの振る舞いへの洞察は、そのデータを「意味をなす」ものにしました―
修正する事無しに。

A new field of study has arisen:
Plasma Cosmology is a part of the world’s largest professional organization, the Institute of Electrical and Electronic Engineers (IEEE)
新しい研究分野が生まれました:
プラズマ宇宙論は、世界最大の専門組織である電気電子技術者協会(IEEE)の一部です。
https://www.plasma-universe.com/eric-lerner/


In a similar manner, the data of ancient art, artifacts, and narratives (myths and legends) haven’t made sense in any comprehensive way.
同様に、古代美術、工芸品、物語(神話や伝説)のデータは、如何なる包括的な方法でも「意味をなす」ものではありません。

The familiar ideas of common natural events, social structures, or shamanic hallucinations have provided scant intellectual satisfaction in explaining individual myths and designs.
一般的な自然の出来事、社会構造、またはシャーマニズムの幻覚のよく知られた考えは、個々の神話やデザインを説明する上でわずかな知的満足を提供しました。

But the obvious similarities of themes around the world in different and independent societies have gone begging to be accounted for.
しかし、さまざまな独立した社会における世界中のテーマの明らかな類似性は、説明を求めてきました。

Again, the data hasn’t made sense, insights into the behavior of plasma have made sense of the data.
繰り返しになりますが、「意味をなす」事がない、このデータは、プラズマの振る舞いへの洞察が、データを「意味をなす」ものにしています。

“Making sense” is not “proving” the hypothesis.
「意味をなす」とは、仮説を「証明」することではありません。

Hard and ongoing work of testing—
against further data and alternative hypotheses—
is still required.
さらなるデータと対立仮説に対しての―
テストのハードで継続的な作業は―
まだ必要です。

One researcher, Rens van der Sluijs, has proposed that this application of plasma principles to ancient historical data be called Plasma Mythology.
ある研究者、レンズ ファン・デル スルージスは、このプラズマ原理の古代の歴史的データへの適用を「プラズマ神話(プラズマを理解する事による神話)」と呼ぶことを提案しました。
https://mythopedia.info/intro.html

As happened with plasma cosmology, plasma mythology turns accepted explanations on their heads:
"Durkheim's and Dumézil’s assertion that many myths reflect aspects of human society are on target, although they were not inspired by those aspects, but acted as models for them.
「プラズマ宇宙論」で起こったように、「プラズマ神話」は彼らの頭の中で受け入れられた説明を転換します:
「多くの神話は人間社会の側面を反映しているというデュルケームデュメジルの主張は、それらの側面に触発されたのではなく、それらのモデルとして機能したものへの、目標に向かっています。

Jung’s archetypes and Lévi-Strauss’ binary structure exist and operate in the mind as suggested, but were the imprint rather than the origin of the myths."
ユングの原型とリーバイ・ストラウスのバイナリ構造は、示唆されているように存在し、心の中で機能しますが、それらは、神話の〈起源〉ではなく、〈痕跡〉でした。」

The implications of this new awareness of plasma touch almost every traditional field of study with the promise (or threat, depending on one’s appetite for adventure) of revolution.
プラズマに対するこの新しい認識の意味は、革命の「約束」(冒険への欲求に応じては、または「脅威」)を伴うほとんどすべての伝統的な研究分野に触れます(影響を与えます)。

For example, imagine a new field of Plasma Politics.
たとえば、プラズマ政治の新しい分野を想像してみてください。

Traditional theorists such as Rousseau and Locke have sought the origins of civil society in a “state of nature,” envisioned as present conditions from which social and governmental aspects are excised.
ルソーやロックなどの伝統的な理論家達は、社会的および政府的側面が切り取られる現状として想定されている「自然状態」における市民社会の起源を模索してきました。

(For a more modern overview of this idea, see Part I of Robert Nozick’s Anarchy, State, and Utopia.)
(このアイデアのより現代的な概要については、ロバートノージックアナーキー、国家、ユートピアのパートIを参照してください。)
https://www.policylibrary.com/

Individuals band together for trade and protection.
個人は「貿易と防御」のために団結します。

In response to the different efficiencies and expediencies of the individuals’ various attempts to do this, certain patterns of order will emerge as dominant.
これを行うための個人のさまざまな試みのさまざまな効率と便宜に応じて、特定の秩序パターンが支配的になるでしょう。

Locke and Rousseau attributed that order (of civil society) to a “compact or “contract” among the members of the society, prompting a number of individuals to ask to see the original document with their signatures on it.
ロックとルソーは、(市民社会の)その命令を、社会の構成員間の「〈コンパクト〉または〈契約〉」に帰し、多くの個人に〈署名のある元の文書〉を見るように要請する事を促しました。
https://iep.utm.edu/soc-cont/

But after Adam Smith—
and more modern theorists such as Ludwig von Mises in economics and Stuart Kauffman in biology—
the idea of emergent order in complex systems (Smith called it an “invisible hand”) provides a more useful understanding than attributing order to a mysterious “intentional design.”
しかし、アダム・スミスの後―
経済学のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスや生物学のスチュアート・カウフマンなど、より現代的な理論家は―
複雑なシステムにおける創発的秩序の概念(スミスはそれを「見えざる手」と呼んだ)は、秩序を神秘的な「意図的な設計」に帰するよりも有用な理解を提供しました。

Plasma politics, to stretch Thomas Paine’s contention, puts it “in our power to begin the world over again.”
〈プラズマ政治〉は、トマス・ペインの主張を拡大する事で、「世界を最初からやり直す私たちの力」にそれを置きます。

The original state of plasma nature was quite different from the presumed present-state-sans-society:
It was a nature engulfed in a global thunderstorm of god-like intensity.
プラズマの性質の元の状態は、推定された、「現在の-太陽の-状態の-社会」とはかなり異なっていました:
それは〈神のような強さの世界的な雷雨嵐に巻き込まれた自然〉でした。

The social and political orders that arose from this original cataclysmic state did not emerge by way of invisible hands but in compulsive-obsessive commemoration of fists that smote the Earth and humanity haphazardly.
この元々の大変動状態から生じた社会的および政治的秩序は、見えざる手によってではなく、地球と人類を無計画に撃った拳の「強迫的妄想的な記念」として現れました。

Trade with and protection from other humans were secondary.
他の人間との貿易と他の人間からの保護は二次的なものでした。

After the gods and their thunderstorm went away, people were left to trade and to defend themselves in a context of memorials and rituals that no longer had justification.
神々と彼らの受けた雷雨嵐が去った後、人々は、もはや「正当化されなくなった記念碑と儀式の文脈」の中で、取引し、身を守るために残されました。

The institutions of civil society would not emerge as entirely rational responses to a reasonable nature but as “guilt-ridden and fear-driven” quasi-rational responses to an unreasonable, absurd nature.
この「市民社会の制度」は、合理的な性質に対する完全に合理的な反応としてではなく、不合理で不条理な性質に対する「罪悪感と恐怖に駆り立てられた」準合理的な反応として現れるでしょう。

In the shadow of plasma mythology, the task of plasma politics is not to explain how civil society arose from generally peaceful individuals with unalienable rights but to explain how it evolved from global trauma and capricious violence.
プラズマ神話の陰の中で、「プラズマ政治の仕事」は、市民社会が不可侵の権利を持つ一般的に平和な個人からどのように生じたかを説明することではなく、それが「世界的なトラウマと気まぐれな暴力」からどのように進化したかを説明することです。

By Mel Acheson
メル・アチソン著